画像で観る100年の変遷

宇都宮高等農林学校が宇都宮市峰町に開校した当初から、当時の姿を垣間見ることのできる写真が多く残されています。
大学に保管されていたもの、卒業生の方々が提供してくださったもの、周年記念誌に収められていたものなど多くの方々の思いが残されたモノクロ写真を画像処理でカラー化したものをご紹介いたします。百年の歴史の中で幾多の変遷を経ながら、もう見ることのできない景色、変わらず美しさを保ったままの景色をご覧いただけますと幸いです。


大正11年(1922年)頃 宇都宮高等農林学校開学当時

庭園はまだ造成されておらず、荒野の中に本館の建物が建っているのみです。
開校十周年写真帖より



大正15年(1926年)頃 庭園完成直後

本館から南側を望んだ景色。フランス式庭園の植込みや園路の意匠は現在もほぼ変わっていないことがわかります。
開校十周年写真帖より



昭和2年(1927年)頃 庭園完成翌年

本館から南側を望んだ景色。フランス式庭園の植込みや園路の意匠は現在もほぼ変わっていないことがわかります。
昭和3年卒業アルバムより



昭和7年(1932年)頃 高等農林学校創立10年当時

植込みや樹木が成長し、シンメトリーな高等農林学校本館と庭園が一体感を醸し出しています。
開校十周年写真帖より



昭和7年(1932年)頃 高等農林学校創立10年当時

峰ヶ丘講堂の外壁は、もともとは茶色かったのが分かります。
本館へ延びる渡り廊下が見えますが、今もその名残の通路が一部残っています。
開校十周年写真帖より



昭和10年(1936年)頃 イギリス式庭園全景

イギリス式庭園の曲線を描く園路や温室、左奥に峰ヶ丘講堂と旧図書館書庫(大谷石蔵)、
中央奥に高等農林学校本館が見えます。
開校十周年写真帖より



昭和16年(1941年) 貯水池工事1

フランス式庭園の南側に貯水池を造成中の様子です。
園路には、大谷石が敷き詰められているのが確認できます。
大学所蔵写真より



昭和16年(1941年) 貯水池工事2

勤労奉仕による穴掘りの様子を写したものです。
カラー化すると服装や現場の動きが鮮明になり、工事の様子が手に取るようにわかります。
開校十周年写真帖より



昭和16年(1941年) 泰安殿

戦争中は、現在の日本式庭園に奉安殿(天皇皇后両陛下の御真影や教育勅語を納めるための建物)
が建てられていました。戦後撤去し、池と築山を造成しました。
卒業生提供写真より



昭和24年(1949年) 高等農林学校本館焼失

高等農林学校本館が火災により建物のほとんどを消失しました。
消火には、8年前に整備した貯水池の水が使われました。
農学部創立五十周年記念史

昭和28年頃(1953年) 本館跡地の庭園

焼失した本館跡地に整備された庭園。本館の土台を活かした盛り土やパーゴラの設置などにより、
フランス式庭園と一体化しています。現在、この場所はUUプラザが建っています。
農学部創立八十周年記念史より



昭和27年頃(1952年) 本館跡地の庭園

新制大学となって間もなくの頃。右上に峰ヶ丘講堂、旧図書館と書庫(大谷石蔵)等の建物が見えます。
農学部創立八十周年記念史より